気まぐれ日記 05年6月

05年5月はここ

6月4日(土)「駒場訪問記・・・の風さん」
 木曜日から上京していて、昨夜で2泊した。上京すると雨に降られることの多い風さんだが、今日はなんとかもちそうだ。それでも、ホテルの部屋でチェックアウトぎりぎりまで粘った。執筆計画表を作成していた。これまで何度も計画表を作ろうと思ったことはあるが、結局作らないまま今日まできてしまった。どスランプ状態も足掛け3年である。今年は自分を追い詰めるのだと決めて頑張ってきたが、とうとう出版社に年内出版を宣言してしまった。しかも2冊。1冊は和算関係の解説書で、これは企画が通った。もう1冊は取り組み中の小説で、主題とあらすじを文書にして読んでもらい、「これでいきましょう」ということになったので、もうやるしかない。とことん自分を追い詰めるにはあとは詳細な日程計画が必要だ。この作成は、会社の仕事で慣れている。早速、エクセルで作り始めた。
 ・・・しかし、作成は途中でチェックアウトの時刻になってしまった(笑)。
 井の頭線「駒場東大前」で降りた。初めての駒場。古めかしい正門の向こうに時計台が見える。東大である。
 受験戦争を味わってきた私には、やはり東大は敷居が高い。キャンパスに入るのに抵抗がある。しかし、今日の訪問の目的を考え、私は胸を張って正門を通った。この正門は、昭和10年に父がくぐったとき、東京帝国大学農学部の正門だった。父は、そこの附属農業教員養成所というところに3倍の競争率を突破して入学したのである。私は、生まれて初めて父の母校を訪ねるためにやってきたのだ。
 駒場は明治11年に駒場農学校が出来て以来、農業教育発祥の地として多くの農学者や農業教育者を輩出していきた。父が入学した当時の農学部は、本科、実科と教員養成所で約400人ぐらいが在学していた。ところが、入学してすぐ、本郷の一高と農学部が敷地を交換することになったが、教員養成所だけは駒場に残り、農業教育専門学校として再出発することになった。だから、父の最終学歴は東京農業教育専門学校となる。その後、そこは東京教育大学農学部となり、さらに移転して筑波大学農学部となった。
 その後のことはさておき、在学中の父の足跡というより面影を想像できるような何かが残っていないか、それを訪ねてやってきたのである。
 最初はキャンパスの周辺にかつての農場のようなものがわずかでも残っていないか探した。事前調査が不十分だったので、駒場野公園まで足を伸ばすことができなかったから、今日は見つけることができなかった。それで、古い建築物を探すことにした。サークルの部室に使われている建物やグラウンド、ラグビー場のあたりを探検したがなかった。しかし、土曜日ということで、このあたりには活発に走り回る学生たちが多く、若き日の父ははたして何かのサークルや活動あるいは父には考えにくいことだが女子学生との交流をしていたのだろうか、と楽しい想像をしていた。
 なかなか古い建築物は見つからなかったが、講堂(900番教室)と102号館の間の大きな木と笹に囲まれたところに、「駒場農学碑」を偶然発見した。石碑は縦横3メートル近いおにぎり型をしていて、そばに主旨を刻んだ碑文もあった。それによると、これは、昭和11年に農学部が本郷へ移る際に、駒場で農業を学んだ卒業生や関係者らによって、この農業教育発祥の地である駒場への追懐・思慕の想いを記念して建立したものだった。まさに父が在学中のことであり、きっと父もこの石碑の前にたたずんだであろう。事実、父の一生は、農業教育ひと筋だったのだから。私は、ようやく若き日の父にそこで出会えた気がして、思わず目頭が熱くなった。

6月9日(木)「人さまの出版と私の執筆と・・・の風さん」
 私自身がぼやぼやしていても、頑張っている人はちゃんと頑張っている。
 ここ数日間にまた新刊が2冊も届いた。
 1冊は、加藤廣(ひろし)著『信長の棺』(日本経済新聞社 1900円税別)である。著者は若桜木虔さんの大学の先輩にあたる方で、なんと、1930年生まれの新人! さすがに頭脳の出来が違うのだろう。お歳をめしても凡人よりはるかに優れているのに違いない。時代小説ということで、若桜木さんが私に送るように勧めてくれたらしい。出版社は日本経済新聞社だが、書評など文化欄が意外と充実している新聞社なので、質の高い作品は出版してくれるのだろう。装丁もなかなか渋くていい。帯のキャッチコピーによると、本能寺の変で殺された信長の遺骸が見つからなかったことに着眼したミステリーらしい。すぐ読みたいが、自分のことで必死なので、もう少し後になる。とりあえず、若桜木さんから教えてもらったアドレスにお礼のメールをお送りした。
 もう1冊は、私と同じ歴史文学賞受賞作家の植松三十里(みどり)さんの『黍(きび)の花ゆれる』(講談社 1700円税別)である。知人を通じて、植松さんが講談社から出版する準備をすることは聞いていたが、まもなくその新刊が届いた。内容も西郷隆盛が奄美大島に流されていたときの島妻、愛加那(あいかな)が主人公で、女性作家ならではの視点で書かれた作品らしい。今月24日の長谷川伸の会でお会いすることができるので、執筆過程の話など聞けるかもしれない。できれば2次会にでも誘ってみようかな。こちらも同様に、メールでお礼の言葉を届けておいた。
 さて、私自身の執筆だが、疲れて帰宅してバタンキューではいけないので、以前にも挑戦したことがあるが、早寝して早起きし、出勤前に執筆するというパターンに変更した。
 前回はあまり調子が上がらなかったが、今回は意外とスムーズにスイッチが切り替わり、波に乗りそうな気配である。ただ、執筆に専念し始めると、トレーニングや気まぐれ日記など、習慣が狂ってくる。これも課題だが、後がない私はとにかくやるっきゃない。

6月10日(金)「ギャーッ!・・・の風さん」
 今日は定時後、歯医者へ行き、それからワイフの新車を1ヶ月点検に出しに行った。実は、その後、職場の飲み会だったのだが、到着が遅くなるのと、帰ってから執筆をしたかったので、会費だけ納めて失礼した。
 帰宅すると先ずLDK(居間からダイニング、キッチンと連続している空間)へ向かい、カバンの中から居間に置いておくべきものを取り出すのが習慣になっている。
 アタッシュケース型のカバンを開けて、中を探っていたら、茶色のチビゴキが走っていた。
 え? 何を書いているのかって? 読んだ通りの事実があったから、それを書いているのです!
 私のカバンの中にチビゴキがい・た・の・で・すぅ。
 そもそも私の書斎には茶色のチビゴキがよく出る。会社のカバンは、口を半分開けて書斎に置いてあることが多いので、そのときに侵入したと思われる(納得しているのだ)。
 冷静沈着な風さんは、さっそくゴキジェットを取ってきて、先ずカバンの中身を全部取り出してから、チビゴキを狙ってシュパーッ。さすが、ゴキ。カバンの縫い目のあたりから裏側へ逃亡。すかさず隙間からゴキジェットでシュパーッ。再び出てきたチビゴキにとどめのシュパーッをやったあと、ティッシュでくるんで捨てた。
 すべて終わった風さん、心臓が早鐘のように鳴っていた。

6月11日(土)「庶民の算術展で算額はたくさん見るの巻」
 愛知淑徳大学のO教授と、名古屋市科学館で開催されている「庶民の算術展」を見学に行ってきた。
 出かける前、今日も早起きして、遅れ気味の執筆にムチを入れていた。午前中は、せっせと調べながら、やはりいつもの慎重なペースだったが、午後になって調べるのをやめてから、突然ペースが上がった。どんどん書けるのである。小説の神様が降りてきた、というほどのことでもないが、こういった状態は実に数年ぶりのことである。少なくとも今年、昨年にはなかった。電車の時刻が迫って、中断するのが惜しいほどだった。
 雨の中、出かけたのだが、最近執筆に没頭しているので、トレーニングに行っていない。足が萎えている。
 電車と地下鉄を乗り継いで、名古屋市科学館に着いた。入場券は、京都大学のU教授から頂戴していたので、無料で入場できた。
 U教授のお話では、「会場が狭いです」とのことだったので、展示物が少ないのかと思っていたが、それは全く私の誤解で、実際は、全国からたくさんの算額を集めたため、しかも大型の物が多く、その規模に対して会場が狭かったという意味だったのだ。1時間もあれば全部見て回れるという安易な判断が見事に外れた。終了時刻までにとても見きれなかった。
 よくこれだけ、と思えるほど貴重な算額が網羅されていたし、ジャンル別の展示などよく工夫されていた。U教授は「来年にでも江戸東京博物館でやりたい」とおっしゃっていたが、十分それに耐える展示である。
 今回の展示は今月26日まで続く。O教授は「もう一度来ようかな」と言っていた。初めての算額見学で、かなり興味を覚えてくれたようだ。お誘いして良かった。
 その後、O教授と名駅でイタリアンを食べながら、1年ぶりに話の花を咲かせた。職場のことから家族のこと、話題は尽きなかった。
 帰宅して、少し酔いが残っていたが、出かける前に中断した小説に再トライした。区切りの良いところまで書けた。

6月12日(日)「執筆の合間に外出して用事・・・の風さん」
 今朝も普通に起きて、執筆に精を出した。調子は維持されている。今日も出かけなければならないので、非常にスピードを上げていたが、それも良かったのかもしれない。
 昼前に、区切りをつけて、それからワイフと出かけた。先ず、父の墓参りに行き(ワイフは毎週行って、掃除をし、花を交換してくれている)、それから1ヶ月点検に出したワイフの車を取りに行った。乗っているのは代車なので、金曜日からガソリンが入っていない。走り出してすぐ燃料の残量警告灯が点灯していた。これは残量が10リットルを切ると点灯するのが普通だ。その店と自宅とは往復で約70キロあるので、ちょっと冷や冷やである(笑)。一昨日借りたとき、わざとエアコンを使わずに帰ってきたぐらいだ。
 ・・・が、何とかガス欠にならずにたどり着けた(やれやれ)。
 それからランチを食べに行き、あれこれ夫婦の会話をして、帰りに買い物もして夕方帰宅した。
 さすがに体力が低下しているので疲れ、夕食前にちょっと昼寝・・・爆睡した。

6月15日(水)「東京雨男の長い一日・・・の風さん」
 朝から雨、有休、15日と来たら「もう決まり!」。そう。東京雨男の上京である。
 昨夜も準備で就寝が遅かった。それでも終わらず、今朝起きてからパソコンを立ち上げて、原稿の印刷をしたりした。ワイフに送ってもらって電車に乗ったら、途中から乗り換える予定の特急の切符が、時間が間違っていることに気付いた。やべえー、と思ったが、乗り換えの駅でわけを話して予定していた時刻の特急の切符と交換してもらった。わけを話してというと聞こえはよいが、既に発車してしまった特急の切符と交換したのだから、ちょっと不条理なことをしてしまったかも。
 名古屋駅でエクスプレス予約した往復の切符を手に入れ、売店で新鷹会事務局へのお土産を買って、何とかのぞみに間に合った。
 疲れていたが、車中では執筆中の原稿(今朝印刷したもの)の推敲をしていた。ところが、東京まであと30分というところで、ケータイにメールと着信があり、確認してみると、職場の部下が今朝の通勤途中に交通事故を起こしていた。状況によっては、すぐに帰らなければならない。自動車産業の一翼を担っているので、交通安全は絶対である。
 東京は激しく雨が降っていた。自分の胸の中にも風雨が吹き荒れていた。
 品川駅で長電話して今朝の状況がかなり分かってきた。このままとんぼ返りは不要だが、今夜中に帰って職場へ戻るためには、午後2時までに判断する必要があった。同僚にいろいろとお願いして、また後で状況報告しもらうことにした。とりあえず、予定していた行動に移れる。
 品川から目黒駅へ移動して友人と待ち合わせていたのだが、その友人も突発があって遅れたため、結局二人とも遅れて合流した。ランチを急いで食べながらたくさんの雑談をこなし、新鷹会の行事に出発した。
 今日は今年で3年連続になる「長谷川伸先生の墓参・白金台二本榎での勉強会」である。長谷川先生が亡くなったのは6月11日だから、「長谷川伸の会」も毎年6月に開催される。長谷川先生を偲ぶ、年に一度の習慣なのだ。
 しかし、今年は雨で参った。目黒駅中央改札口外に集合したのは、全部で13名。
 高野山真言宗高福院の山門を入る。
 自宅から持参した永平寺の香り高い線香「零陵香」に火をつけて、数珠をつまぐりながら墓前に向かう。「零陵香」はサクラソウ科の草を乾燥させた線香で、本当に香りがいい。全員傘をさしながらの参拝で、私はその模様をデジカメでせっせと撮影した。
 幸い、職場からはすぐ戻ってくる必要がないと連絡が入り、次のスケジュールへ移ることができた。
 目黒駅前からバスで移動。明治学院前で降りると、そこに新鷹会の勉強会の原点である長谷川伸邸がある。
 今日はニューフェイスが3人いるので、書庫や長谷川先生の書斎を案内した。あとから3人が遅れてやってきて、勉強会がようやく始まった。今日は作品は1本だけだったが、ほぼ全員が意見を述べることができて良い勉強になった。
 私は事務局へお土産と一緒に、「大衆文芸」送付先見直し結果を印刷したものを渡して説明した。
 また、伊東先生に「大衆文芸」7月号用のエッセイ原稿を渡した。
 今夜も早く帰って執筆をしなければならないので、2次会はパスし、5時過ぎに長谷川邸を辞去した。
 帰りの新幹線では睡眠をとり、乗り継いだ特急では短編を1本読んだ。
 帰宅して遅い夕食をとってから書斎にこもり、メールチェックと並行しながら執筆を続けた。今朝ののぞみで推敲したお陰で、昨日までの予定分に午前2時前に到達したので、そこで作業終了。
 東京雨男の長い1日がようやく終わった。

6月18日(土)「またまた新刊届く・・・の風さん」
 東京雨男が帰ってきてから、頭痛か続いていて、執筆が停滞した。梅雨前線も南海上に停滞しているが、それとは関係ない。こういうときはトレーニングにでも行って、スカッとしたいところだが、何しろ時間がない。年内2冊刊行を目指しているが、優先順位は当然ある。今は小説の方の目処をつけなければならない。もう1冊の和算解説書は、ある意味、時間さえかければ出来ていくものだ。
 ぼやぼやしていたら、またまた他人の新刊が2冊も届けられた。
 楠木誠一郎さんの『女王さまは名探偵』(講談社青い鳥文庫 670円税別)が、先ず最初。これは少年少女向けのタイムスリップ時代ミステリで名探偵シリーズになっている。うちの中3の次女もファンで、私の知人作家の中では楠木さんの本だけは読んでいる。いつか会わせてサインをもらってやりたい。「お父さんにも、お前に紹介できる人気作家の知り合いがいるんだよ」胸を張って自慢してやる。ただし、のけぞってひっくり返らないように。
 もう1冊は、天城 一(はじめ)著『島崎警部のアリバイ事件簿』(日本評論社 3000円税別)。値段を見ても想像できるように、分厚い本だ。600ページ以上もある。天城 一(はじめ)先生は、日本推理作家協会の名誉会員であり、昨年の『密室犯罪学教程』が第5回本格ミステリ大賞を受賞している。その第2弾が今回の作品だ。一方、天城 一先生は、本名を中村正弘さんといって、私の母校出身の数学教授だった。歴史にも造詣が深く、拙著『算聖伝』のときには、大いに参考にさせていただいた恩人である。
 以上のように、しょっちゅう知人作家の励ましを受けているので、今年こそアウトプットを出さなければ、私は友人はおろか知人としても失格の烙印を押されてしまう。

6月19日(日)「ゲートル巻いて強行軍・・・の風さん」
 昨日もトレーニングに行けず、足がむくんでどうにも気持ち悪かった。ベッドに横になっても気持ち悪く、とうとう必殺のサポーターを取り出して、両足のふくらはぎを緊縛した(ちょっとイヤらしい表現かも)。
 そのまま起床。とりあえず睡眠は十分だ。サポーターは装着したままである。
 さっさと朝食を摂って、書斎へ直行。
 調べ物をしていると原稿が進まなくなるので、何度も何度も調べ始めては「やめ!」、また調べ始めては「やめ!」と叫びながら書き進め、ようやく夕方頃から筆が進み出した。
 なんとか、午後11時前に、3日遅れではあるが、ターゲットまで書き進んだので、そこで今日は一段落することにした。・・・ということで、今日もトレーニングに行けず。
 うちの子供がインターネットで姓名判断をやっていて、私のもやってくれたのだが、けっこうよく当たっている。南山誠林さんの姓名判断といい勝負だ。そういえば、今朝の新聞に幻冬舎から出たベストセラー『姓名の暗号』という広告が出ていた。このタイトルって、筑波大学の村上教授がかつて遺伝子のことを書いた本『生命の暗号』と語呂が同じじゃないか!
 ま、それはさておき、うちの子供が見つけた姓名判断では、明日の私の会社での運勢は、「何をやっても無駄。遊んでいた方がマシ」と出ていた。なんか当たりそうな気がする。
 寝る前にサポーター(昔のゲートルと同じだな)は外した。

6月22日(水)「時代小説の文庫ブーム? ・・・の風さん」
 今年は空梅雨かもしれない。東京雨男も上京しなければ雨を降らすことはできない。このまま梅雨明けを知らずに夏になるのだろうか。
 昨日と一昨日、ちょっと帰りが遅くなったために、執筆が停滞した。言い訳したくないので、二足のワラジという言い方は決してしないし、時間がないということも言わない。しかし、ようやく波に乗ったときでも、やはりブレーキがかかるとしっかり減速したり停止するものだ。
 今日届いた「本の雑誌」を読んでみたら、興味深いデータが出ていた。昨年4月から今年の3月までの1年間に出版された時代小説の文庫の総数が341冊だという! ほぼ毎日のように新刊の時代小説文庫が出ていたことになる。世はスピード時代。月刊誌か週刊誌か新聞のようなペースで次々に新刊を出さないと読者の購買意欲を刺激できないのかもしれない。まさに自動車業界と一緒だ。1年中新車効果を狙っているのだ。あるいは、時間をかけた本格時代小説のハードカバーよりも、気軽に読んで後始末も楽な文庫が気に入られているのか。
 会社に埋没してしまっては、こういった業界についていけなくなるので、今日はさっさと退社して帰宅した。
 が、疲れている。運動不足で体力が著しく低下しているのだ、しかし、今朝、会社の診療所で定期的に受けている血圧検査では、かなり低い値を示し、ドクターが「朝、目覚めた時とか、フラフラしませんか?」と心配したほどだった。おかしい。
 明日から出張をからめて、出歩くことになる。
 土曜日は久しぶりに国会図書館である。

6月24日(金)「第42回長谷川伸の会・・・の風さん」
 ほとんど夏の東京である。東京雨男は上京したが雨は降っていない。東京雨男も空梅雨には負けた。
 例年、6月の最終金曜日は「長谷川伸の会」である。
 午後4時半に四谷の弘済会館へ着いた。今年も第1部の司会を担当する。これで4年連続だ。そろそろクビになるだろう。・・・ではあるが、とにかく会を盛り上げるために、年初から会員に働きかけをしてきた。それが花開くかどうか、今夜はっきりする。
 今年は、この重要なイベントの役割分担を明確に決めた。特に当日の会の進行をスムーズに行うためには、どうしても必要だった。会員全員の協力が必要だからだ。
 今年も、会員の新刊本の抽選プレゼントを企画した。これは、一昨年から実施しているもので、出席者には非常に好評だからだ。特に、当たった本の著者が会場にいるので、すぐにサインがもらえるというメリットもある。
 さらに、伊東昌輝理事の発案で、今年の式次第に変化を与えた。長谷川伸賞ならびに池内祥三文学奨励賞の選考経過は、これまで伊東理事の独壇場だったが、初めて松岡弘一理事に任せられたのである。そして、開会の辞だけでなく、第1部には閉会の辞まで設定し、それぞれ神坂次郎氏、辻真先氏という著名作家にお願いすることになった。
 すべての仕掛けはものの見事にうまくいったが、今年の長谷川伸賞受賞者である作詞家の松井由利夫さんには感動した。お人柄があらゆる局面に滲み出ていたからである。受賞挨拶では、長谷川伸作詞「沓掛(時次郎)小唄」を渋い喉で歌ってくださり、ギターの演奏もあって、心に沁みた。きわめつけは、第2部の懇親会の最中に、武道館から休憩時間を利用して歌手の氷川きよしがお祝いに駆けつけたことだろう。私は、新刊プレゼントの世話でバタバタとしていたため、全く気が付かなかった。
 今年のもう一つの特徴は、池内祥三文学奨励賞が奥村理英会員になったことで、彼女の広い交友関係を反映して、多くの作家や出版関係者が出席したことだろう。特に、私を含めて歴史文学賞受賞作家が4人も集まったのには驚いた。植松三十里さん、松浦節さん、市原麻里子さんである。佳作のととり礼治さんもおられた。
 有意義で盛大な会になり、微力を尽くした私は満足した・・・が疲労困憊した(笑)。

6月25日(土)「国会図書館の新システム・・・の風さん」
 昨夜の疲労もなんのその、早起きしてホテルをチェックアウト。開館前の国会図書館へ出動した。うーん、いつ以来だろうか? 忘れた。
 システムが変わっていたので、ちょっととまどった。もともと関西別館で導入されたシステムに真っ先にエントリーしていたので、メンバーカードは持っていた。それがいよいよ使えるようになっていたのだ。ところが、いざ使えるとなると、パスワードを覚えていないので、入力できないのである。困っていたら係員の女性が、免許証の提示でパスワードを教えてくれたのと同時に、入館カード(ICチップ内蔵)を作ってくれた。
 閲覧方法も変更になっていた。閉架の借り出しがオンラインになっていたのだ。入館カードをセットして、図書を検索し、ヒットしたら借り出し手続きをするのだ。私は、事前に自宅で「資料請求票」(昔もらってきた白紙のもの)に記入して行ったのだが、それは無効だった(笑)。
 本が出てくる前に喫茶でモーニングを食べ(実は朝食がまだだった)、それから借り出した本の複写依頼に飛んで行ったのだが、そこのシステムも大きく変わっていた。まず、入館カードをセットして、複写依頼表を印刷するのである。それに必要事項を記入して提出する。ところが、著作権法の遵守が厳しくなっていて、同一著者の文章は、全体の半分しか複写依頼ができないのだ。これには困った。お金の余裕があっても一気に全部コピーできないのだ。止むを得ず、必要な部分が入るように工夫してコピーを手に入れた。
 午後は、新宿へ出て作家仲間とランチを食べながら歓談し、夕方須賀川の実家へ着いた。
 しばらく執筆から遠ざかっていたが、今夜は、4枚書けた。満足。

6月26日(日)「執筆を頑張る風さんの巻」
 夕方の飛行機が出るまで、実家でひたすら執筆に励んだ。
 ここ何度か繰り返している「福島空港⇒セントレア」で帰宅した。
 夕食後も執筆を続け、二日間で22枚書けた。
 明日からまた会社である。負けないように頑張らねば。

6月27日(月)「ミッシェルが90000km・・・の風さん」
 すっかり夏の陽気になっている。
 年とともに月日の過ぎ去るのが早くなる。これは感覚の問題だろう。記憶や思い出がどんどん増えていくに従い、たとえば1日の出来事が自分の全記憶や思い出に占める割合が小さくなっていくのだ。そして、同時に、その一瞬のような1日がきわめて貴重に思えるようになっていく。
 会社でバタバタと仕事し、最後は強い決意の元、さっさと退社する。この踏ん切りが大事で、そうしないと、ずるずると会社に居残ることになる。
 しかし、真っ直ぐ帰宅できるわけでなく、実は、今日はちょっと寄り道が必要だった。昨日の買い物でヘマをしたからだ。薬局でヘアトニックを買う時、何気なく一番手前のビンを取ってレジを済ませたのだが、帰宅してからビンを見て仰天した。「お試し用サンプル」と小さなシールが貼ってあった! 当然、内容量も減っている。
 その交換のために遠回りしなければならなかった。
 黄昏時の道路は、一日の仕事を終えようと焦る車や帰宅を急ぐ車で、どことなく忙しない。
 ミッシェルの積算距離計が、ちょうど90000kmを超えた。中古で買ってから2年10ヶ月。50000km走ったことになる。このまま100000kmを超えるのは間違いない。やっとめぐり合えた「よく走るヤツ」であり、「俺のオンナ」だ(ひょー、カッコ良すぎ〜かな)。
 ・・・しかし、ヘマをとりかえすために遠回りして帰宅。歳をとると、こういった無駄が多くなる(笑)。

6月30日(木)「出版へ向けた固い決意・・・の風さん」
 今年前半の最終日である。予想通り、この日はあっという間にやって来た。ただ、昨年に比べると、時間の過ごし方が充実している。年明けから覚悟を決めて「小説家であり続けること」に努力しているからだ。
 小説家であり続けること、というのは、何のことはない、書き続けること、である。気まぐれ日記のことではない。これは練習というか習慣だ。アウトプットつまり活字にすることである。ここまで短い文章はいくつか書いてきた。いよいよ後半は出版という成果を出さなければならない。
 何度か打ち明けているが、現在、年内2冊刊行を目指して書き続けている。長編小説と和算関係の解説書だ。どちらも絶対に書き上げなければならない内容だ。私の使命である。
 どちらも来月中に第一稿を出版社へ送る計画である。
 そのために、トレーニングと気まぐれ日記の更新が犠牲になっている。

05年7月はここ

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